【5/24】

 5月23日の正午、私と山岡氏の搭乗するJAL401便は、定刻どおりロンドンのヒースロー空港に向けて出発した。ヒースローでBA機に乗り換え、グラスゴーに到着したのは20時40分頃である(サマータイムで日本との時差はちょうど8時間)。日本ならば夏場でも日が沈んでいる時刻だが、まずその空の明るさに驚かされた。慣れない者にとって、緯度の高い地域での季節による日出没時刻の変化は、頭では理解していても体に覚えさせるのはなかなか難しいようである。私は滞在中、結局この奇妙な感覚に慣れることはできなかった。夜の10時を過ぎても陽が残っている街の光景といったものは一種異様で、まるで白日夢でも見ているかのような気にさえなってくる。

 24日の朝はホテルで食事を済ませ、8時前には空港にチェックイン。しかし出発直前になり、現在アイラ島の天候が不順であるとの気掛かりな一報が入る。もし到着するまでに回復しなければ、引き返す可能性もあるとの説明があった。島へ渡るには、フェリーという手もある。しかしできることなら、空から島を眺めてみたい。出発予定時刻の9時を10分ほどまわり、祈るような気持ちを抱きつつ私達は機上の人となった。40分ほどで、アイラ島の上空に到着。そしておもむろに機体を傾け、待機のための旋回を始めた・・・。機内には緊張が走る。が、窓から覗く限りでは、どれほどひどい天候なのかがよくわからない。しかしウイスキーの神は、私達を見捨てなかった。いや、日頃から信仰心の薄い私の祈りが通じるわけもないのだが。ともあれアイラ姫のご機嫌は直ったらしい。そして私達はアイラ島へ迎え入れられた。

 約束していた辻丸氏と空港で合流する。3人でマリナーズホテルに直行した。辻丸氏のご職業はカメラマンである。ご自身の仕事の都合で、すでに1週間ほど前に渡英していた。私達とは宿は別だが、できる限り行動を共にしようという約束になっている。この日は、『ラガヴーリンの日』である。正午からツアー、16時15分からはテイスティング・セミナーに参加する予定になっているが、辻丸氏はツアーのみ参加の予定だ。

 ツアー後、辻丸氏と別れた私と山岡氏はアードベッグ蒸留所で昼食を取った。途中偶然にもマイケル・ジャクソン氏ご夫妻が姿を見せ、4人でテーブルを囲むことに。ひととおりウイスキー談義に花を咲かせたあと、別れを告げて私達はラガヴーリン蒸留所に向かった。

 セミナーでは、ニューメイク(ニューポット)、3年、5年、12年、16年、25年の6種類を飲み比べる、いわゆるヴァーティカル・テイスティングが行なわれた。講義をしてくれたのは、マネージャーのドナルド・レニック氏。カスク・ストレングスのせいもあるのかもしれないが、16年の美味しさを再認識できた。6つを試飲した後どれが美味しいと思うかとの質問に、会場の多くは25年と答えていたが、私にはちょっとウッディで苦く、喉のひっかかりを感じた。話の内容は、蒸留所の歴史や製造の行程、特色、こだわりについてなど。20世紀の初頭、ブレンデッドのホワイト・ホースの生みの親としても知られるピーター・マッキー氏が、なんとかラフロイグの味をコピーしようしていろいろと試したが、結局は失敗したというエピソードはとても印象的だった。

 セミナーの後はホテルに 直帰の予定だったが、うららかな日ざしに誘われ、ビッグ・ストランド海岸に寄り道することにした。辻丸氏にも連絡を取り、A846号から海岸へつながる枝道の丁字路で待ち合わせ、3人で向かった。海岸までの道は予想以上の悪賂で、いささか面喰らった。轍のおかげで、かろうじて道であろうと判別できるような箇所も少なくなく、岩場も多い。これ以上車高の低い車だったら、間違いなく海岸までたどり着けなかっただろう。A846から歩いて行くというのもひとつの手だが、10分や20分で行ける距離ではなく、地図で見る以上に距離を感じた。しかし、海岸は噂に違わぬ景勝地で、広大な自然を満喫できた。

 夕食は 辻丸氏を交えてマリナーズホテルで取り、21時過ぎには就寝。


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