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 午前中、私と山岡氏はポートシャルロットのウェアハウスへ繰り出す。昨年彼が樽買いされたポートシャルロットを見るためである。そこはブルイックラディ蒸留所から、車で5分ほどのところにある。樽は2階に安置されてあった。鏡板には噂の“HIDEO KENICHIRO”のステンシル文字が熱く(?)ペイントされてあり、心暖まるものを感じながら試飲もさせていただいた。これは10年後がとても楽しみである。

 12時半からは、辻丸氏も交えてボウモアのツアーに参加、その後はウェアハウスにてテイスティング。比較的若いエイジングのものを何種類か飲ませてもらった。全般的にパフューミーさは少なく、今後のボウモアに明るい希望が持てた気がする。3時からはピート・カッティングの実演と、1964ヴィンテージのスペシャル・テイスティング。どちらかを選ばなくてはならない。私と山岡氏はスペシャル・テイスティングを、辻丸氏はピート・カッティングを選択し、一旦は別行動に移った。しかし、あろうことか、スペシャル・テイスティングはすでに定員オーバーとのこと。私達は何とかならないかと食い下がったが、無理だとのつれない返事。仕方なく、私達もピート・カッティングに参加することにした。スタッフに道順を聞き、彼らを追ってえっちらおっちら歩いて行った。しかし私達は重大な思い違いをしていたのである。カッティングの現場までは、とても歩いて行ける距離ではなかったのだ。途中で気づくも、そこから車を取りに引き返していたのではとても間に合わない。しかし、私達にはまたしてもウイスキーの神のご加護があったのである。カッティングの体験を終え、引き返して来る辻丸氏の車が前方からやって来たのだ。私は思わず呟いた。神様、仏様、辻丸様・・・。彼には申し訳なかったのだが再度現場まで戻っていただき、カッティングを無事体験することができた。

 20時からはボウモア蒸留所内にあるホール、『モルト・バーン』でコンサートがあり、私と山岡氏はそれにも参加する予定だ。それまでは各自、自由行動とした。私はコテージのキッチンを使って、自炊をしてみることにした。近くのスーパーで食材を買い込み、ガーリック・ミート・パスタを作り、食べた。その後桟橋近くを散歩し、地元の子供達と遊んだりして時間をつぶした。コンサートは、子供らのスコティッシュ・ダンスに始まり、バグパイプの演奏や歌等で3時間半があっという間に過ぎた。午前0時のアードベッグのミッドナイト・ツアーに備え、終了直前に私達は会場を後にした。

 午前0時から始まるアードベッグのミッドナイト・ツアー。ガイドは、マネージャーのスチュワート・トムソン氏が務めてくれる。彼の奥様であり、蒸留所のスタッフでもあるジャッキーさんには“クレイジーな企画”とぼやかれたとこぼしていたので、思わず笑ってしまった。なお事前に詳細はまったく知らされておらず、いやが上にも期待は高まる。ツアーが始まると、さっそく暗闇の中にローソクの炎が妖しく揺らめいていたり、所々にダミーの作業員が設置されていたり、あるいは倒れていたり(ぎょっとした!)と、分かりやすい演出がされてある。彼の話はとてもユーモアにあふれていて、以前写真撮影に夢中でウェアハウスに閉じ込められたしまった日本人がいたなんて話も聞かされた。テイスティングは、まずフィノの1stフィル・カスクで寝かされた1975ヴィンテージ。ある種のローランド・モルトのようにフルーティで、まるでメロンのよう。ピート香は比較的軽く、その点評価の別れるところだろうが、私は高く評価した。続いて1998年の5年物。やや若さはあるものの、ピーティで力強さがあった。その後レセプション・ルームに戻り、ロード・オブ・ジ・アイルズや1977などをフリー・テイスティング。その中でもコミッティ・リザーブが群を抜いて美味しかったので、トムソン氏に中身を尋ねたところ、90年代、80年代、70年代のモルトがそれぞれの特徴を活かせるよう、バランスよくヴァッティングされてあるという返事をもらえた。これが公に出すコメントらしい。しかしそれだけでは納得のいかない私達はさらに突っ込んだ質問をしたところ、非公開のレシピも聞き出すことができた。その時点ですでに3時を回っており、帰るころにはすでに東の空はうっすらと白みかけていた。

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